2020/8/30(土) 西台天祖神社・他〜オオカミ狛犬探訪
2020-08-30


買物がてら、街のオオカミ狛犬を探訪。今日はまず板橋区の西台天祖神社。
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東武練馬駅から1.2kmほど北上し、最後は住宅街の間をスマホのマップをにらみながら歩く。鳥居をくぐると迎えてくれるのは普通の獅子の狛犬だが、台座に「豊島区」「西臺村」と刻まれ風雪を経た風格がある。目当てのオオカミ狛犬は階段を下りたところに祀られた御嶽神社の石祠の左右を守っていた。口を開いた阿形の方は鼻が欠けてしまっているのが痛々しいが、牙に鋭い爪、肋の表現と、小ぶりながら立派な狼。
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祠の横の御嶽山と思しき築山には三笠山大神が祀られ、覚明、普寛などの霊神名を刻んだ碑もある。オオカミがいる点は武蔵御嶽(みたけ)神社の信仰と思われるが、説明書きに「御嶽(おんたけ)神社」とある通り、木曽御嶽信仰にも繋がっているのだろう。
天祖神社にお参りして、拝殿横に面白いもの発見。一般に「金精様」などと呼ばれる石棒だが、これには『流行の咳・疫病を鎮める神さま』とある。『「石神」が「せき神」「しゃく神」と呼ばれ、「石(せき)」が「咳」に「しゃく神」が「杓子」となり「しゃもじ」を奉納する風習がうまれた』と説明書きにあり、実際にしゃもじが三つほど供えられていた。この石棒は明治7年に発掘されたものとのこと。咳を鎮めてくださるなら肺炎にも験があるだろうとコロナ終息をお願いした。
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神社を出て通りかかった住宅街の辻に古い供養塔があり、傍らには欠けた道しるべらしい石塔がアスファルトに半分埋もれていた。供養塔の「養」は異字体の「美良」、その左右に「西國四國」「秩父坂東」とある。道しるべは欠損、埋没が大きくて読めないが、この細い道がかつては街道だったのか。そこから進んだ辻にはこれもまた歴史の感じられる不動明王(覆い屋の下の石塔に「大山不動明王/天明二年(1782)」と刻む)があり、覆い屋に武蔵御嶽神社のお札が貼られていた。もしかすると、御嶽講が現在も続いているのかもしれない。
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次に、都営三田線で西平から板橋区役所前に移動、そこから500mほどの氷川町氷川神社。
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ここは参道右手に境内社がいくつもある。その中に三峯神社もあることから、『オオカミは大神』の青柳健二氏のブログ[LINK]に紹介されていた。この境内社の集まった一角が小高くなっているのは富士塚の一部らしい。祠の裏、富士塚の現状でいちばん高いところに、壊れた石像が無造作に打ち捨てられている。ほとんどは稲荷社のキツネのようだが、尾が台座に沿って横向きに伸びているものなど少しオオカミっぽい。そう思ってみると、稲荷社の新しいキツネ像もオオカミのような面構えをしている。
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